虹ノ松原 (唐津)

(2009年十一月唐津鏡山より撮影

遥か下虹ノ松原冬霞 (唐津鏡山)
下界なる虹ノ松原冬霞(唐津鏡山)

唐津湾沿いに、虹の弧のように連なる松原。唐津藩初代藩主、寺沢志摩守広高が、防風・防潮林として植林したのが始まりで、全長5km、幅1kmにわたって続く松は、約100万本と言われています。今では、三保の松原、気比の松原とともに日本三大松原の一つに数えられ、国の特別 名勝に指定されています。NHK「21世紀に残したい日本の風景(BS2)」の投票で、第5位 に選ばれました!(唐津観光協会)

********************

世界の俳句

有季‧無季 定型.自由律 花鳥諷詠‧人情世故  時事‧社会 客観写生‧主観感動

 みんな みんなの母語でよむ俳句

********************

齢七十五にてつと去りし日を振り返りみて我自身を知る…
波の間に間に 流されるまま 人を羨むことなく 求めることなく
世間と争わず なれど 荒波に遭うを 免れ能わず
思いもよらない 公務員年金を亨く 多からずとも又 少なからず

命を保つに 憂うこと無し
キーボードを たたいて インターネットに遊ぶ

得るところ有れば 又与える事もあり
名利共に 余生の外にあり
(オーボー真悟)
#お知らせ!!
e-book (オーボー真悟の短詩集)を刊行しました、ご興味のある方は下記のアドレスhttp://www.olddoc.net/oobooshingo-poem.pdf をプレスして下さい、無料でダウンロード出来ます。                    
 (オーボー真悟)
The Global HAIKU Net: https://olddoc.net/global-haiku/index-H.html

2020年8月14日金曜日

偶感 (エッセイ-23)

 

<偶感>

棺桶はもう目の前に、地球もいつかは破壊される時が来る、ただ明日か数億年後かは分からないのみ。そのとき記録はなくなり、歴史も消えてしまう,一切は無と空に帰す。

学者、学者と、若かりし頃一途に崇拝し、ただ学問のために学問だけをしているように思っておりました。社会のこまごました細事にはかかわらず、毎日を本の山の中に埋もれて真実を求めているように思われました。

時代が変わったのでしょうか?いつからか,学者たちは毎日声を張り上げて口論し、座が変われば脳みそも変わるというのか、常時機会あるごとに権力と財宝を求めて喚きおり、また自らを専門家であると思い込んでいるうぬぼれ者は舞台の上で踊りまわりおる様、しかし一方では少数ではあるが、黙黙と自分の学問に浸る学者もまたいます。

いつの時代にも流れがありますが、最近文学畑における人気のない詩に於いても、特に人気のない「俳句」にも燦燦とちらつきを見るようになりました。

  台湾では「俳句」は20世紀の終わり頃に新聞誌の文芸欄で少し垣間見ましたが、まもなくきえました。小生の愚見からすれば当時の詩人が「俳句」の真髄を理解していなかったということです。しかし見ていると最近の作品も相変わらず同じ溝にはまっているようです。

現代詩の詩人たちはただ徒党を組んで集まり,すこし日本語が分かる者は野心ある日本人と組んで漢語俳句を始めました。だが漢語俳句は既に <漢俳> の失敗が先にあるにも懲りず,相も変わらず生半可な日本語で似ても似つかない漢語俳句を作りだし,日本人は漢語の綾を知らぬが故甘んじて受け入れた結果、そこに得体のしれない漢語俳句を生み出すはめになってしまいました。

ましてや、日本の俳句には二つに流れがあり、一つは本当に詩として俳句を習う方と、もう一方は挿花のように芸事としてまた言葉遊びとして俳句を習う方々がいらっしゃいますが、ポピュリズムで後者の方が多くなり、知らぬ間に主客転倒し、結果は後者が主の様に誤認されるようになりました。その上、結社の主宰は知らぬならいざ知らず、たとえ知っていても生活維持の生業のため敢えて自ら言い出すこともあり得ません。

俳句は世界の俳句になり、俳句を学びたいなら本物の俳句を学ばなければなりません。

日本人とて必ずしも俳句を知っているとは限りません、それゆえ俳句を本当に理解していない日本人の話を聞く必要もありません。

〈俳句〉とは、明治中期のころ、〈子規〉こと〈正岡子規〉によって150年前に命名されたもので、所謂 <芭蕉>の〈俳句〉とは、子規が〈俳句〉を命名した後、<俳句>の <観念><本質>、および<形態>500年前の <芭蕉> の時代にも既に存在し、<芭蕉> の言う <不易流行>とは、<本質は変更されないが、時代の変遷とともに受け継がれて変動し流行する意味>で、実際上、<世事> のすべては時代の変化とともに自然に変化し、<変わらない> のではありません。

したがって、多くの日本の俳句結社の主宰が教えている <花鳥諷詠> と <季語> は <子規> の弟子である <虚子> 即ち <高浜虚子>が昭和の初期に於いて日本人が詠み易いために提唱した日本人の習性と社会風習また日本の四季変化に則た <一家言> でありますゆえ、 外国人はもちろんのこと、日本人でも必ずしも従うことはありません。 <俳句> の本質は、<短い><瞬間的感動><詠む人と読む人による詩情の違い> 即ちおなじ句を読んでも詩人の詩情は人によって異なると言うこれらの3つの原則以外にはタブーなしで生活に出会うすべてを詠むことができます。

これらの事は小生すでにいくつかの電子書やフェイスブックで取り上げておりますので敢えてここでまた贅言いたしません。

:曾文水庫(1987)

2019年10月14日月曜日

俳句(Haiku)-274


待望の
       異国に名を馳す
                        台風来
         (taibou no ikoku ni na o hasu taihuu ki)

山遥か

   望の見えて
                空真っ青

          (yama haruka nozomi no miete sora massao)

洗脳や
          魔術のごとし

               覿面や
     (sennou ya mazyutsu  no gotoshi tekimen ya )


エッセイ-22ー<俳句に良し悪しはない> 


    <俳句に良し悪しはない> 
   始めたばかりの方はいざ知らず、俳句を詠んで一年も経てば作品に良し悪しはない,ただその場にて同じ感性を持ち,同じ経験をし,共感する方がいるかいないかだけだ,それが <俳句とは詠むと読まれる方が一緒に詠む短詩> だと言われる由縁である。だから俳句会で多くの方に選句されたからと言って <秀句> と言う訳ではない,共感する方が,即ち似た境遇の方が多かったというだけだ。喜ばしいのは似た境遇の人たちが多いとお互いに悲しみも喜びも容易に共にできることだ。これがともに俳句をよむ楽しみなのだ。



2019年9月24日火曜日

エッセイ-21-俳句海を渡って短歌になる


<<俳句海を渡って短歌になる>>
しばらくご無沙汰していた国際俳句協会(HIA)の<世界の「俳句・ハイク」事情><中国>部分を覗いてみました。ご無沙汰してもう6、7年になる。ご無沙汰したのもそれなりの理由がありました。漢詩また俳人でもある大先生が短歌本質の短詩を俳句としてご丁寧に説いて外国人に紹介していたからです、それも一回だけでなく6回に渡って滔々と述べていました。
  覗いてみてがっかりしました。相変わらずそのままだったから。一歩退いて自分が間違っているのかもと考えてみましたがそうでもなさそうだ。
  俳句と短歌は日本では古来からはっきり区別されていて同人協会の経営も相拘わることなく行われている。内容の量と質もはっきり違う。57557577と情報量も違うし、瞬間感動と抒情詩と質も違う、叙情は俳句でも出来ないことはないが完全なる叙情をなすのは一般に難しい。もともと57557577は文字数の違いではなく17音と31音の違いなのだ、だが各国の言葉は一語一語の音数が違う、日本語はポリシラブルであるが華語はモノシラブルなので日本語のポリシラブルの音数をモノシラブルの華語にそのまま当てはめると情報量が平均の倍以上になってしまい簡単に抒情詩を詠むことが出来るようになり、575音で十分日本の短歌の情報量相応の短詩が詠めるようになり、自ずから俳句を詠んだつもりで短歌の情報量と本質になり俳句の本質とは違う短詩になってしまっています。
    もともと中国では1919年五四中國文化改革運動以降、縛りの多い漢詩を詠む方が少なくなり、多くの方が口語の現代詩を詠むようになり、575の漢俳は丁度手頃の短詩型の定型現代詩になりとても歓迎されています、だからと言ってそれが漢語の俳句だというのは一寸おもんぱかられます。
  日本の俳句が世界に進出してから100年以上になります、この世界最短の特殊な短詩型が長い間荒波のなかをさ迷いた後、世界から受け入れられその特質がようやく理解されるようになった今日、ただ俳句は <最短の詩> だけで片付けるのはどうかと思います、と言うのは少なくない各国の現代詩の詠み手が短い現代詩を皆俳句と思い込んでしまうからです。
日本では同じ短詩型の短歌と俳句(短歌の発句)1000年以上も平行線を保ち進んできました、また進んでいます、いまさら一つに叩き直すというのは?
  小生は日本語、華語、英語だけしか分かりませんが英語の俳句も華語の俳句もようやく日本語俳句の本質に沿った俳句がたくさん詠まれるようになりました。自由律俳句は定型の俳句と平行線を保ち同行するものであるがやはり俳句としての本質は保つべきであり、ながったらしくなてはいけません。そしてポピュリズム的な花鳥諷詠や季語は日本語俳句特有の形の一つとして日本人に愛されるのは理解出きると共に重んじられますが、それだけが俳句であると言われるのは一寸困りますと世界中から言われます故、胸に収めてくださるようお願いいたしたい次第です。
@参考文献:
 Chiau-Shin NGO (呉昭新)<俳句とは、定型漢訳(台湾語、華語)日本歴代俳句(日本語版)-電子書-ISBN:9789574365999-2019-4,台北、台湾。PP:171
Photo: 1986日月潭

2018年10月17日水曜日

エッセイ-20

<俳句>と所謂の<伝統俳句>、<花鳥諷詠>と<三縛り>

<俳句>は和歌より連歌、俳諧連歌、短連歌、発句、俳諧、そして明治時代の子規の命名による<俳句>また<文学>として変遷してきた日本の短詩であります、だが<俳句>の形は遡って江戸時代の芭蕉の頃既にあり、その起源を定めるのに少し戸惑うことがありますが、俳句界では一応俳諧連歌を創始した山崎宗鑑とし、そして荒木田守武から貞門派と言われた松永貞徳、談林派の西山宗因と続きます、芭蕉は貞徳の弟子の北村季吟に師事し、宗鑑からこの間約二百年ほどになります。
子規が俳句を文学としての位置に据え置いて後、河東碧梧桐、高浜虚子、荻原井泉水、尾崎放哉、種田山頭火、中塚一碧楼、住宅顕信らの <自由律><花鳥諷詠><客観写生>、<無季>、<人事><生活><論理><観念><俗語><俗諺 ><世俗> などなどと多方面の思考と四方八方へと分かれ進みました。またその前をを遡っても芭蕉の <侘び、寂>、蕪村の <絵画、俗語、漢語>と一茶の <一般世俗、俗語> と井上清月の <放浪> と内容性質が変わっています。
そうなれば何故俳句というと真っ先に差し出されるのは <花鳥諷詠、客観写生と厳格な五七五、切れ、季語の三縛り> の俳句界のポピュリズムでなければならないのか?俳句の入門、手ほどき、俳句とは、、、などなど紙本、ネット上の記述を眺めてください。決して誇大した言い分ではありません。
日本の俳句は明治この方WGアストン(1841-1911William George Aston)、ラフカジオ·ハーン (1850-1904; Patrick Lafcadio Hearn)BHチエンバレン (1850-1930; Basil Hall Chamberlain)、ポール·ルイ·クーシュ(1879-1959Paul·Louis Couchoud)、野口米次郎 (1875-1947; Yone Noguchi)、エズラ·パウンド(1885-1972; Ezra pound)、RHブライス (1898-1964;Reginald Horace Blyth) らにより西洋に紹介され、鈴木大拙により禅とも縁を結び、二十世紀の初めにはイマジズムとしてもてはやされ、特に戦後快速に世界中に広まり、いまや<HAIKU>また漢語文化の地域では同じ<俳句>という表現を使って世界中の文学として喜ばれています、これは日本文化の名誉誇りではありませんか、何故この趨勢を<俳句は日本独特の詩であり外国人には詠めない>と止めを刺す方々がいらっしゃるのでしょうか?一外国人である小生は理解に苦しみます、と同時に外国人であるメリットで、日本の俳句界からの批評に気を遣うことなく、また便利自由になったネットと言うメデイアのお陰で編集者の意見に左右されることもなく此処に提起することが出来た由縁です。
世界の多くの人々は毎日身の回りに起こる生活、社会、大自然、人事、感受、思惟の全てを主観·客観の区別なく三行で最短に俳句を詠んでいます、そして日本の多くの方々も同じです。各新聞、雑誌、ネットの俳句をご覧ください。 
ただ世界の人々を困らせているのは少なくない日本の方が<季感>のない<季語>や動く<季語>を何とか入れることと無理に所謂の伝統俳句の三縛りを押し付けていることです。<季語>とはもともと短すぎる17音により多くの情報量を増やさんが為に日本人の生活習慣に一番なじみの深い <季題>、<季感> に関する言葉として <季語> を入れたのに、無理に季感をなさない又は動く <季語>、そして時代の移り変わりにより変わるまたは消失し新出もすると同時に同一季語でも指す季節の違う<季語> を入れるのは意味がなく、<季語>の本来の意味目的を失ったばかりでなく、ただでさえ短い俳句に勿体ないではないでしょうか。
ところが俳句界のポピュリズムがそうさせているのです、元はと言えば虚子が好意で日本人に一番馴染みやすいそして詠みやすい花鳥諷詠を説いたのが裏目に出て、俳句の一種である筈の花鳥諷詠がポピュリズムの勢いに乗って他のすべての俳句を押しのけて本尊にのし上ったのです。惜しむらくは虚子がその大著<俳句読本>などで<俳句とは花鳥諷詠の季語ある五七五の日本特有の短詩である>と言ってしまいました。
ポピュリズムは俳句に限ったことではありません、世間の様々な物事に見られる現象で、恐ろしい時には暴動や戦争や革命や大虐殺やホローコーストまで起こすのです。心理学では大 () 衆心理とでも言いますか、一般に暴動はこれから起こり、古今、洋の東西を問わず洗脳と言う便利な心理学的操作もこの種類に属し、現今国際間で問題提起されいる<シャープパウアー、Sharp power>もその一つで、そして心ある人々は只指をくわえて傍で見ているだけの事しか出来ません、でないと自身もその食い物にされてしまいます故。それをまた一部の真の俳句の本質真髄を知らない日本人が、知ったかぶりして説明し教えるので益々こんがらがってしまいました、一方真に俳句を知る俳人はポピュリズムにたじたじと押されて、又はある方は結社主宰の生業に影響するのを気遣って、口を閉ざし目をそらしていると聞きます、あまり日本の歴史風俗習慣を了解していない外国人が戸惑うのも無理はありません。時折そういう知ったかぶりのある程度外国語ができる日本人に短歌まがいのHAIKUを俳句と言われてそれを信じている外国人を見受けます。
よく考えてみると確かに俳句を指導することによって生活を贖っている方がいるのも事実です、またただ見栄や自尊心のため俳句を習っていらっしゃる方が多いのもまた事実です、失礼ですが所謂の有閑マダムの時間つぶしみたいになってしまっている場合もあります。でも賭博、麻雀、パチンコ、競馬などよりは断然ましな方です、少なくとも日本語の勉強、洗練になるからです。
ですが、伝統俳句の三縛りや <季重なり>、<無季>、<破調>、<付きすぎ>、<離れ過ぎ> 等々については俳句のバイブルでもある:子規の <俳句大要>、<俳人蕪村> 及び虚子の <俳句読本>、<俳句の詠みよう>、<俳句の作り方> と <俳句の道> を二回以上読んでください、一般にがみがみ言われるほど大切なことではありません。これら俳句のバイブルは一回目はざっと目を通すだけで結構ですが、二回目以後は必ず精読してください。そして俳句に良し悪しはなく鑑賞は人に依りけり、子規はより蕪村を重んじ芭蕉は軽んじられていますが、虚子は芭蕉をより重んじているのを知るでしょう。一茶にいたっては一般平民の俗語でまた俗事を好んで詠んでいます。
また桑原武夫教授の俳句第二芸術論のようにプロとアマチュア俳人の作品の見分けが難しいという事及び子規の <鶏頭の数>の句の秀句か駄句かの争論は何を意味しているのでしょうか、そして今泉恂之介の <子規は何を葬ったのかー空白の俳句史百年> のいうように子規は一茶以降百年の俳句を抜かしています、また同書に記されている市川一男(1901~1985)の<近代俳句のあけぼの>(1975)と<俳句百年>(1970)に列挙された所謂の月並み句に関する句評、そして放浪の生涯を通した井上井月、また2009年ごろからネットに載せられている中川広の虚子個人に関する評論、すこし酷過ぎるところはありますが、ある程度市井の俳句結社の実情を反映しているのではありませんか。また虚子の句も決してみんな花鳥諷詠ではありません、<~棒の如きもの>の句も論理句であり、2009ごろのネット上ではある若き主婦がこの句を読んで思わず顔が火照ったという記事もありました、また子規、虚子共にあの一般大衆に受け入れられている加賀の千代の<朝顔に釣瓶~>の句を少なからずの紙面を割いて誇張した偽善的な句と貶しておりますが果たしてそうでしょうか?すべては子規の短命に帰せざるを得ません、若し子規をして現代人の様にやすやすと80から90歳まで生きていれば今の俳句事情は現今の如くではない筈。また所謂の伝統俳句は果たして伝統なのでしょうか?も問題の一つであります。
子規の後、河東碧梧桐、荻原井泉水、種田山頭火、尾崎放哉、中塚一碧楼、石田波郷、吉岡禅寺洞、加藤楸邨、日野草城、嶋田青峰、東京三、山口誓子、鈴木六林男、金子兜太、芝不器男、高柳重信、秋元不二夫ら非伝統派の俳人、また長谷川櫂、夏石番矢、今泉恂之介、木村聡雄、橋本直、五島高資、高山れおな、摂津幸彦、四ツ谷龍、筑紫磐井、大森りえや大学で俳句専攻の大森健司ら若い俳句詠み手もみな俳人でしょう、ことさら中村草田男、加藤楸邨、篠原梵、石田波郷ら人間探究派や難解俳句などの俳人も。それなら俳句を詠みながら俳句の本質や真髄などに思いをよせて寺田寅彦、折口信夫、正岡子規、高浜虚子、大須賀乙字、山本健吉、金子兜太、長谷川櫂、夏石番矢、今泉恂之介、彌栄浩樹、 川名大、外山一機、橋本直らの詩論、俳論をも何回か読み直し、又ネット上の俳句評論コラムの若い世代の方々のいろいろある考えや評論にも目を通してみましよう、また現代俳句協会が編集した <日英対訳21世紀俳句の時空> は子規以後 ~ 2000年までの俳句の変遷と流れを簡単にまとめています、一読に値します、それらの句の半分でも理解鑑賞できる方が幾たりおられますか、小生には疑問です。芭蕉の<不易流行>は何を意味しているのでしょうか、確か <本(もと)は変わらず時代の変遷に連れて流れ変わり行く> の筈、そしてその通り和歌、連歌、俳諧連歌、短連歌、発句、俳諧、そして子規の <俳句> と変遷してきたのです、どうして花鳥諷詠とその三縛りで今までの変遷や流れにストップをかけなければいけないのでしょうか?けっして花鳥諷詠がいけないと言うのではありません、花鳥諷詠が一番日本人の生活習慣に則した、そして一般大衆に詠まれやすい俳句の形であると言い切って、また確かに受け入れられた虚子の偉大さと俳句を広めた功績は認められなければなりませんが、それは俳句の一つの形であり全部ではないことも事実であり、特に現今俳句が世界の俳句になり、また成ってしまったのも事実である故、いつまでも俳句は日本人の特有の詩形であり他国の人には詠めないということを強調する必要があるのでしょうか。
明治の昔碧梧桐曰く同じ月を見て日本人は感じるところがあるがドイツ人は何とも感じなく、また虚子曰くフランス人にいくら <季> を説いても馬耳東風であると。民族国家の特性を他の人、民族、国家に押し付けることはできるのでしょうか、ですでに世界に進出した日本オリジナルの文化の誇りを妨げる必要がまたあるのでしょうか、しかもそれが俳句そのものではなく、ある俳句の形を主張する人の個人の言い分であるとき、と一外国人である私は言いたいのです。
呉昭新:《俳句と伝統俳句とポピュリズム》:http://oobooshingo.blogspot.com/2018/07/16.html 
呉昭新:《季語とキーワード》:http://oobooshingo.blogspot.com/2018/02/15.html 
呉昭新:《俳句”の二つの顔》:http://oobooshingo.blogspot.com/2018/01/14.html 
呉昭新:《黄霊芝師逝く》:http://oobooshingo.blogspot.com/2016/04/blog- post.html 
呉昭新:《黄霊芝主宰の俳句観》:http://oobooshingo.blogspot.com/2016/01/009.html 
呉昭新:《漢語/漢字俳句》漢俳、湾俳、俳、…、とは?(日本語)         
吳昭新:台湾俳句之旅:「台湾文学評論」,第十巻第一期,pp.75~95Jan. 2010,台湾文学資料館,真理大学,台湾(華語)
吳昭新:《漢語/漢字俳句》——漢俳、湾俳、俳、…、?(華語)
     http://olddoc.tmu.edu.tw/chiaungo/essay/haiku-kango.htm   (2018-10-27 reached)
吳昭新:《吟詠日本俳句-現代俳句的蛻變》:http://chiaungo.blogspot.tw/2011/03/blog-post.html  (華語)
吳昭新:《「俳句」並不是只有日語才可以吟詠》:(華語)http://chiaungo.blogspot.tw/2011/02/blog-post.html   (2018-10-27 reached)
吳昭新:《台湾俳句之旅》。(華語)
     http://olddoc.tmu.edu.tw/chiaungo/essay/haiku-tabi.htm   (2018-10-27 reached)
吳昭新: 《日本俳句之漢譯-介紹中國金中教授的一詞加一句形式》:(華語)
     http://chiaungo.blogspot.tw/2011/10/blog-post.html   (2018-10-27 reached)
吳昭新:《俳句を詠む-俳句初心者の一外国人の疑問》:「オーボー真悟」 (日本語)http://oobooshingo.blogspot.com/2010_06_01_archive.html               (2018-10-27) reached.
望:《漢語/漢字俳句》:「世界俳句」,20117号、世界俳句協会編、(日本語)文:p.101~113;中文:p.98~104. 七月堂,東京,日本。
黄靈芝:《臺灣季語及臺灣語解説》,「臺灣俳句集(一)」,1998pp.7683,台北,台灣。(華語)
黃靈芝:《北縣縣民大學「俳句教室」(1)(2)(3)(4)》,「臺灣俳句集(一)」,1998pp.5270,台北,台灣。(華語)
金中  :《古池蛙縱水聲傳──一詞一句形式的俳句翻譯》:「世界俳句20128號」;pp.83-89, 2012,東京,日本。(華語)
正岡子規:《俳諧大要》(日本語)岩波文庫、岩波書店、1989、第8刷り。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000305/files/57350_60028.html  (青空文庫:2018-10-27 reached
正岡子規:《俳人蕪村》(日本語)「日本の文学 15」中央公論社、1973.  http://www.aozora.gr.jp/cards/000305/files/47985_41579.html
   (青空文庫:2018-10-27 reached
正岡子規:《古池の句の弁》(日本語)「俳諧大要」岩波文庫、岩波書店、1989、第8刷り。
   (青空文庫:2018-10-27 reached
正岡子規:《歌よみに与ふる書》(日語)岩波文庫、岩波書店、2002、第26
   (青空文庫:2018-10-27 reached
高浜虛子:《俳句讀本》:《世界教養全集14》,pp.221-353, 1962;平凡社,東京,日本。(日本語) 
高浜虚子:《俳句とはどんなものか》(日本語)角川文庫、角川学芸出版
2009(平成21)年1125日初版発行
(青空文庫:2018-10-27 reached
高浜虚子:《俳句の作りよう》(日本語)角川ソフィア文庫、角川書店
   2009(平成21)年725日初版発行
高浜虚子:《俳句への道》(日本語)底本:「俳句への道」岩波文庫、岩波書店
   1997(平成9)年116日第1刷発行
   (青空文庫:2018-10-27 reached
今泉恂之介:《子規は何を葬ったのか-空白の俳句史百年》新潮選書、新潮社、東京、2011825日(日本語)
萩原朔太郎:《詩の翻訳について》(日本語)「日本の名随筆 別巻45 翻訳」 作品社、1994(平成6)年1125日第1刷発
   http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/48341_35101.html   (青空文庫:2017-4-28 reached
萩原朔太郎:《詩の原理》(日語)新潮文庫、新潮社、1975(昭和50)年91027
   (青空文庫:2017-4-28 reached
萩原朔太郎:《郷愁の詩人 与謝蕪村》(日語)岩波文庫、岩波書店
   2007(平成19)年125日第22刷発行     http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/47566_44414.html      (青空文庫:2017-4-28 reached
寺田寅彦:《俳諧の本質的概論》(日語)「寺田寅彦随筆集 第三巻」岩波文庫、岩波書店 1993(平成5)年25日第59刷発行
(青空文庫:2017-4-28 reached
寺田寅彦:《俳句の型式とその進化》(日語)「寺田寅彦随筆集 第五巻」岩波文庫、岩波書店 1997(平成9)年95日第65刷発行
(青空文庫:2017-4-28 reached
寺田寅彦:《俳句の精神》(日語)「寺田寅彦随筆集 第五巻」岩波文庫、岩波書店。1997(平成9)年95日第65刷発行
(青空文庫:2017-4-28 reached
西尾 実:《日本文芸入門》:《世界教養全集14》、 pp. 3-72, 平凡社、東京、
          日本、1962、(日本語) 折口信夫:《世々の歌びと》:《世界教養全14》、 pp.125-220, 平凡社、東京、日本、1962 、(日語)
三好達治:《現代詩概論》:《世界教養全集14》、 pp. 355-460, 平凡社、東
      京、日本、1962、(日本語)
弥栄浩樹: 1%の俳句ー一挙性、露呈性、写生》 《群像》、2011
      6月号、   64-90、講談社、東京、日本、2011, (日語)
佐籐和夫:《西洋人と俳句の理解―― アメリカを中心に――》:日本語学:
      1412-18.1995。(日語)
朱實:《中國における俳句と漢俳》:「日本語学」:14 53-62.1995,東京,
      日本。(日語)
夏石番矢:《現代俳句のキーワード》;「日本語學」14:25-31; 1995; 明治書院,東京,日本。 (日語)
楠木しげお:《旅の人-芭蕉ものがたり》,銀の鈴社,東 京,日本,2006. 
     (日語)
秋元不死男:《俳句入門》、角川学芸出版、東京、日本、2006. (日語)
金子兜太:《造詣俳句六章》(日語)「金子兜太集 第四巻」、p211-514
          筑摩書房。2002(平成14)初版発行
嶋田青峰:《俳句の作り方》、新潮社、東京、日本、1941. (日語)
佐籐和夫:《西洋人と俳句の理解―― アメリカを中心に――》:「日本語
      学」:1412-18.1995。(日語)
秋尾  敏:《明治40年代の月並俳諧》:「鳴弦窓雑記」,(日語),http://www.asahi-net.or.jp/~cf9b-ako/essay/meigensouzakki.htm  (2012-02-15 reached)
鷹羽狩行:《もう一つの俳句の国際化》、    
  (第17 HIA 総会特別講演より)(2006. 6. 6)(日語)
野口  裕:《二物衝撃はものたりない》:「五七五定型」創刊號,pp:32-402006年,和泉市,日本。(日語)
小池正博:《柳俳交流史序説》:http://ww3.tiki.ne.jp/~akuru/mano-09-koike.html   (2012-02-15 reached)
小池正博、野口裕:《對談.五七五定型之可能性》:「五七五定型」創刊號,pp:41-552006年,和泉市,日本。(日語)
小池正博:《コラージュ「座談会」-『「現代川柳」を語る』をめぐって-》:「五七五定型」第4號,pp:28-372010,和泉市,日本。(日語)
現代俳句協会編集委員会:《日英対訳21世紀俳句の時空》、永田書房、東京、日本、2008
木村聰雄:《20世紀日本的俳句──現代俳句小史》:《21世紀俳句の時空》:pp2~41. 2008,永田書房,東京,日本,2008(日語)
木村聰雄:《現代俳句の詩学――世界詩としての俳句形式》:「世界俳句201713號」;pp.77-84, 2017,世界俳句協会、東京,日本。(日語)
野口る理《ポスト造型論》:《現代俳句協会青年部シンポシオンⅣ-2011-6-11》、「spica」、(日語)http://spica819.main.jp/atsumaru/1172.html  (2012-03-03 reached)
夏石番矢:《Banya》:http://banyahaiku.at.webry.info/   (日語)(2017-05-15 reached)
石倉秀樹:《獅子鮟鱇詩詞》:http://shiciankou.at.webry.info/   (日語)(2017-05-15 reached)
高柳重信:《俳句形式における前衛と正統》:(「国文学」昭和五十一年二月)(日語)http://www.h4.dion.ne.jp/~fuuhp/jyusin/jyusintext/j-zenneideitoiu.htm 
高柳重信:《「書き」つつ「見る」行為》(日語)(2017-05-15 reached)
島田牙城:《無季俳句のこと》:http://www7.ocn.ne.jp/~haisato/mukihaiku.htm (日語),(2012-02-15 reached)
菱川英一:《パウンド「メトロ詩」分析におけるロジャーの方法論》(日本語)、神戸大学教育学部研究集録, 9077-93,1993
宮坂豊夫:《俳句の周辺:語学的視点からの研究ノート》:<人文研究>511):117-1312001. 
今田述:《漢俳入門》:(2003),(日語)https://www.google.co.jp/#q=%E6%BC%A2%E4%BF%B3   (2017-05-15 reached)
中山逍雀:《曄歌》:(日語)http://www.741.jp/kouza07/kou-07D01.htm      (2017-05-18 reached)
中山逍雀:《俳句と漢俳》,(日語)http://www.741.jp/kouza08/kou-08C43.htm 
 (2017-05-14  reached)
中川広:《中川広の俳句ページ》:(日語)http://www1.odn.ne.jp/~cas67510/haiku/index.html  (2017-05-14 reached)
Mora and Syllable/モーラと音節》:(日語)
川名 大:《戦後俳壇史と俳句史との架橋、そして切断:前篇》:http://gendaihaiku.blogspot.com/2011/06/35_26.html  (2017-05-17 reached)
川名 大:《戦後俳壇史と俳句史との架橋、そして切断:後篇》:(日本語)
日本漢俳學會:《日本漢俳学会が定める漢俳詩法の原則》:(日本語)http://www.kanpai.cc/sonota/gensoku.htm   (2012-02-10 reached)
《日本漢俳學會》:(日語),http://www.kanpai.cc/index.html  (2012-02-10 reached)
八木健:《「俳句のルーツは滑稽」「子規、虚子たちも詠んだ」》:(日本語)http://www.kokkeihaikukyoukai.net/img/newspaper01.pdf (2010/06/16) reached.
京都疎水(1992)